私の母は10年前に肺がんで亡くなりました。
それは悲しいだけでなく苦い思い出でもあります。
母は癌治療で有名な北京の大病院に入院し、本人の希望で化学療法を受けていましたが、その副作用に苦しんでもいました。
亡くなる一週間ほど前に危篤状態に陥り、錯乱したり譫語(せんご:声が大きい、明瞭なうわごと)を言ったり、罵声もありました。
それに対して医師たちの見解は「放射線治療の副作用だからある程度は仕方ない」というものでした。
私が今でも後悔していることが二つあります。
一つは、化学療法メインでの治療を望んだ母の意思を尊重して、「漢方薬も併用しよう」と言い続けることをあきらめてしまったこと。
でも癌治療は体力を補いながら治療するのがベスト。
それにはやはり漢方薬は有効なはずだった。
もう一つは、譫語のとき舌を見たらとても赤かったのに手を打てなかったこと。
これは、「熱擾心竅(ねつじょうしんきょう・熱が心を混乱させる)」という症状ですが、私は母が死にかけていることに動揺していたこともあり、熱擾心竅の症状だと思いつかなかった。
いや、勉強不足で気つかなかったと言うべきでしょうか。
中国に「書到用時方恨少」という言葉があります。
本が必要になったときに、持っている本が少ないことを恨めしく思う、つまり、いざ知識が必要になったときに、常に勉強してこなかったために正確に対応できなくて後悔するという意味です。
この諺を私はもちろん知っていましたが、身をもって思い知らせ、歯ぎしりする思いでした。
もし「熱擾心竅」を正確に弁証論治し、母に必要な漢方薬を飲ませてあげられていたら、母は危篤状態から回復する可能性があったかもしれない。
そう思うと、今でも本当に悔しい。
その後、父が脳卒中で倒れたときは、母の二の舞にしないために自宅での療養を選び、必要な漢方薬を一週間ぐらい飲ませました。
すると危篤状態から徐々に回復していきました。
少しは母の時の経験を活かせたかもしれません。
父は90歳ですが、今も元気に暮らしています。
中国から日本に戻るときは、中医師として「いざというときに使えないような学び方は二度とするまい」という決意を胸に刻み込んでくれた母のお墓参りに行くことにしています。
何年たっても、一抹の寂しさや虚しさが消えることはありませんが…。
漢方の勉強は「国際中医師アカデミー」